活動紹介−議会活動

【07.10.05】 民生委員制度創設90周年

民生委員制度創設90周年に参加して

 民生委員の制度が戦前から始まっているとは知らず、会場で頂いた冊子を興味深く読みました。

 1917年(大正6年)岡山県の「済世顧問設置規定」からその歴史は始まるらしい。
 発足時の考えも、困窮者対策で素晴らしいと思いましたが、歴史経過の中で、日本が行った戦争に対して、どのような評価をしているか、その点についての記述があるかどうかを気にしながら、25ページから始まる「尾張旭市民生委員児童委員協議会のあゆみ」を読みました。
 90年の歴史があるということは、戦前から存在するわけで、おそらく、あの戦争に協力させられているだろうから、それを、どう評価しているかに興味がわいたのです。

 27・28ページに敗戦前後の内容がありました。
 抜粋すると、

 まず、当時の東春日井郡旭村で活動されていた方の息子さんの思い出

「…昭和12年日華事変、太平洋戦争と8年余りの未曾有の日本の危機に突入してゆくのでありました。
…活動はほとんど戦時国策への協力、戦争遂行への寄与に終始した形となったが、これはやむを得ないことだと言わねばなりませんでした。(※1)

…しかし、こと志と違うことが多く…消沈挫折することもしばしばでありました。(※2)」

 次に、28ページの終戦直後の記述。
…終戦直後の社会情勢に対処して本来の使命に立ち、その機能の発揮が要請されるに至ったので…(※3)

 ※2では、戦争に協力したことに対する悔恨が感じられ、
 ※3で、本来の機能ではないことをさせられていたことが伺えます。

これらの記述から、少し救われた気持ちがしました。特に、この地域の方が不本意だと考えていたことがわかり、嬉しくもなりましたが、※1の記述については、現在書かれる記念史としては、もう少しコメントが必要だと思えます。
 戦後、同じ侵略国として敗戦国となったドイツでは、おそらく、この記述だけでは済まないだろうと思え残念でした。

 日本政府の戦争に対する反省のなさから、これまでは限界もあったかもしれませんが、戦争に二度と協力をすべきでないこと、政府に戦争を起こさせない努力をしていこう、という記述があれば良いのにな、と思いました。

▲ このページの先頭にもどる

トップページに戻る
フェイスブックページへ
RSSフィード(更新情報)